『心霊電流』読了。ラヴクラフト的な小説は久しぶりですが、怖さ健在(?)です。

さて、スティーブン・キングの小説です。 つい先日読了したのですが、いつになくジェットコースター的な展開、おまけにダークホラーの世界へ召喚されてちょっと神経がやられてます。 クラシック音楽とヘビメタに癒されてなんとか生きていけそうですので記事を投稿しときます。


【題名及び主題に関すること】


本書が発売されたのは今年の1月でした。 しばらく手に取らなかったのには2つの理由があります。 ひとつはキング作品の先約があって読了待ちがあったこと。それも2冊。1冊目は「悪霊の島」。何度も途中まで読み、挫折。を繰り返し2月に読了。2冊目はビル・ホッジス三部作の完結編「任務の終わり」。こいつは比較的サクっと読めましたね。それでも読了したのは5月ですけど・・・

そしてもうひとつの理由はずばり題名。 なんたって「心霊電流」ですよ?
これはいったいどんなB級小説なんでしょう?というほどダサイ題名じゃありませんか。
原書の題名は「Revival」です。いわゆる外来語的な扱いではリバイバル(復活)という言葉が一般的ですが、日本人がイメージする意味合いとは別の意味で、①イエス・キリストその人の復活(生き返り) ②信仰自体の復興や信仰復興のための伝道集会 という意味があるそうです。


う~ん、結局題名からはよくわかんない内容なので・・・本書のオビに書かれているあらすじ的な文章を引用しておきましょう。


上巻:恐怖の帝王、久々の絶対恐怖の物語。 ≪幼い日に出会った若き牧師。希望に輝いていた彼を見舞った無残な悲劇ー怪奇小説の巨匠に捧げたホラー大作。悲しみの底から恐怖が徐々に這い出てくる。≫ 途方もない悲しみが、若き牧師の心を引き裂いたー6歳の僕の前にあらわれたジェイコブス師。神を呪う説教を執り行ったのち、彼は町から出て行った、しかしその後も僕は、あの牧師と何度も再会することになる。かつては電気仕掛けのキリスト像を無邪気に製作していた牧師は、会うたびごとに名前を変え、「聖なる電気」なるものを操る教祖にのぼりつめる。少年小説であり青春小説である前半を経て、得体の知れぬ恐怖が徐々に滲み出す。忌まわしい予感が少しずつ高まる中、あなたは後戻りのきかない破滅と恐怖への坂道を走りはじめる。

下巻:悲しみと恐怖であなたの心は破ける。 ≪電気だ!聖なる電気だ!牧師のあやつる電撃はインチキか真の魔術か。天を引き裂く雷鳴と稲妻の中に、見よ、まったき恐怖がついに頭をもたげはじめた!≫


【キング他作品との関連】


例によって読みながらリンクする出来事をメモしていたつもりだったのですが・・・ 本を読むときの周りの状況や時間帯(就寝前などは半分夢の中)によって、あまり記録が残っていないことがほとんどでした。だめじゃん。
それでも気づいた他作品との関連を。  ↓

1.上巻p225:ジェイコブスが肖像写真用カメラを発明したとき、男女両方を客にしようとしていた。『初めて試したのは、ノースカロライナ州の海辺にある小さな遊園地≪ジョイランド≫だ。』


2.下巻p95:『僕は昔ジェイコブスから聞いた呪医の話を思い出した。シエラレオネでは、客たちが呪医の家の外に列をなし、農作物を絞めたばかりのニワトリを差し出すのだと。』シエラレオネは刑務所のリタヘイワースに出てくる地名。 → ・・・と、思っていたのだが、後から調べたらシエラレオネは西アフリカの共和国の名前。刑務所のリタヘイワース(映画ではショーシャンクの空に)にでてくる地名(終盤でアンディーとレットが再開する約束の地)は「シワタネホ」でした。いや~、人間の記憶なんてアテになりませんね。「シ」しか合ってねぇ (*_*)


3.下巻212:『枯れたツタに覆われている扉』これははっきり言及しているわけではないが、おそらく暗黒の塔シリーズの第2作「ザ・スリー(運命の三人)」の冒頭に出てくる中間世界と我々のいる世界を繋ぐドアのことだ。 → エントリー作成に当たり久しぶりにザ・スリーの冒頭部分(ローランドが指食べられちゃうとこ)を読み返してみましたが、こちらの扉は単純に『変わった』印象の扉。つまりドアの框(かまち つまり枠組みね)部分がなく、蝶番のところがフリーなのに立っているという不思議なもの。扉を開けた時にはびっくり仰天、さすがのローランドも絶句するのですが。それに対して心霊電流の扉はもっとおどろおどろしくて、邪悪な印象が際立っている。



4.下巻p244:そしてキング自ら告白しているのが『(中略)~僕が物語のあちこちに事実を織り込むのは、全体をもっともらしく見せるための工作だという。』 あ、こりゃ他作品とのリンクじゃないな。キング得意の現実にある地名や商品名をフィクションの中に描くことによって現実のような錯覚を起こさせるということだね。自分で言っちゃったよ。


5.本書全般にわたって表現されるのはRevivalによって病気が治癒することに対して副作用というか代償が発生するということ。これは直接的なリンクではないな。むしろもっと根底にある発現条件と言ってもいいようなもの。悪魔との契約とも似ている。


【感想と考察】


まずは、先述の通り『最後の怒涛のストーリー進行が速すぎる』点について。 キング作品の特徴として、登場人物やその周囲環境、はたまた彼らの心理描写をこれでもかっ!というほど事細かく行って、(つまりた~くさんのページを割き)物語の終盤でそれまで描かれてきたことが伏線であることに気づき多くのピースがはまる場所を見つけてある意味気持ちいいほどの納得感を得る。 そこまでいけばストーリーの完結まで急降下。という筋運び。
よくキング作品が「ジェットコースターで駆け降りるように」と形容される所以。もちろん本作も伏線という伏線の連続。そして語り部の人生の大半を使って語られる「時間軸的な長さ」はちょっと珍しい。それも一足飛びに30年後とかではなく、少しずつ時間が経過し、それとともにジェイコブスの狂気が表出していくところなど、本作の醍醐味の一つと言える。


そして『ラヴクラフト的なじわじわくる恐怖』について。 H.P.ラヴクラフトのファンを公言するキング、いかにもな感じのストーリー進行だけど、こういうの久しぶりだな。
103的に好きなテーマだけど、キリスト教(あるいは他の宗教)と関連するので日本人が一体どれだけ理解できるかは未知数。たとえどんなに翻訳が素晴らしくても信者に比べれば10分の1くらいなんだろうと思います。

キング作品で似てるな~と思ったのはペット・セマタリー、ダーク・ハーフ、呪われた町、ブラックハウス、暗黒の塔シリーズ、ジョウントあたりかな。どこがどう似てるかは自分で考えてね。


再び『扉』について。 全くキング作品ではないのですが、この扉の描写を読んで思わず「鋼の錬金術師」を思い出しました。 そうです。幼い兄弟が母親を亡くし、悲しみのあまり錬金術で母親を生き返らせようとするアレです。一時期一世を風靡しましたね。


作品の背景や世界観などヨーロッパのような作風、鋼の錬金術師自体が中世ヨーロッパの錬金術だけでなく宗教観を参考にして創作したことは容易に想像できます。そして幼い兄弟は母親の復活(RIVIVALだよね)に失敗し、その代償として兄の腕と弟の心以外すべてを失うというもの。コミックでは「等価交換」と呼びその考え方が物語の中枢を担っていました。 もちろんロダンの地獄門がアイデアのご先祖なんでしょうが。 

あ、ちなみに鋼の錬金術師の中で描かれる「扉」は ↓ コレね。


そんな「他作品とのリンク」(非キング作品)も楽しみながら読むことが出来ました。


あ、蛇足ですが、ジェイミーがアノ体験をしてから又姪のキャラ・リン。幼児の彼女が大好きだったジェイミーを怖がらせるようになったのは彼の中に邪悪なものを感じたのか?そういう点では子供が善悪について敏感であるというキング作品の根底に流れるテーマを踏襲しており、おもわずにやりとさせられる。


蛇足その2.妖蛆の秘密。1542年に出版された魔導書。教会によって禁書扱いとなる。その後、ロバート・ブロックとH.P.ラヴクラトによって紹介されクトゥルフ神話の第四の魔導書となっている。マイフェイバリット作家の作品をモチーフに作品を作り上げちゃうあたり、目の付け所が違うというか、どんだけラヴクラフトオタクなんだよ!と思ってしまう。

蛇足その3.チャールズ・ジェイコブスの名前。ジェイコブスは読み方を変えるとヤコブ。ヘブライ語起源のヤアコブの意味は「かかとをつかむ者=人を出し抜く者」という意味があるらしい。こういうのもキリスト教の素養というか知識がないとピンとこない部分だな。


【装丁について】

今回も装丁は藤田新策氏の手によるもの。

オビを外した状態。上巻の表紙はジェイミーが初めて見た電気仕掛けのキリスト像。そこに向かう小舟に乗り助けを求める人は、今で言うREVIVAL=伝道集会で救いを求める人々とかぶっているのか。下巻には送電塔(線)が描かれているが、藤田氏によれば線は6本。ギターの弦と同じ本数。昔のロックに対する比喩のようだ。

そしてカバーを外すと上巻のイラストがモノクロで上・下巻双方に描かれている。う~ん、これは何を意味するのか?分からないまま読み終えてしまいました。


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