「悪霊の島」読了。

ふと気づくと、新年明けてからというもの、まともにブログエントリーを上げていません。

でも大丈夫。ちゃんと生きてますから。


そして今日のエントリーはキング作品について。

久しぶりに長編を読み終わりました。「悪霊の島(Duma Key)」です。

なんと本書が刊行されたのは2009年9月30日。

ものすごく前の作品です。

キング風にいえば、『前世での出来事』と言っても過言ではありません(苦笑)。


最近のキング作品読書傾向として、「途中まで読んで放置。その後再読する時にはストーリーを思い出すために再度最初から読み始める」というプロセスを繰り返すこと数回。

ようやく最後まで読み終わることができました。

一般的に紹介されている本書のあらすじはこう。 ↓

不慮の事故で片腕を失ったエドガーは、ひとりフロリダの孤島デュマ・キーに移り住んだ。波と貝殻の囁きを聴きながら静かに暮らすエドガーは、ある日、絵を描く衝動にとりつかれた。かつて幾人もの芸術家を迎えたデュマ・キーに宿る何かが作用したのか?彼の意思と関わりなく手が描き出す少女と船の絵―それはいったい何なのか?屋敷に住まう老女の過去に何があったのか?じわり、じわりと怪異が迫る。島にひそむ悪しきものがひそやかに触手を伸ばす“恐怖の帝王”の本領発揮。圧倒的恐怖へ向けたジェットコースターが、高みをめざして昇りはじめる。


さて、103風の感想は以下の通り。(ネタバレあり。注意)

【Webの恩恵】

キング得意のステージは多くの作品で(特に初期)メイン州あるいはメイン州にあるとされる架空の町キャッスルロックだったりするのだが、今回はがらりと変わってフロリダ州。

メイン州のような冬は雪に閉ざされる場所とは異なり、もっと開放的(?)な土地にて起きるストーリー。

当然土地勘というかいつも慣れている場所ではないため、「どういうロケーションなのか?周囲の環境は?」などにわかに分からないため、Google Mapで何度も地理的な特徴を確認する作業が必要だった。

本書の原題である「Duma Key」は物語の8割が進行する舞台のことだが、実際にはDuma Keyという場所は存在しないらしい。

検索する過程でフロリダ州西岸には「~Island」と呼ばれる比較的大きな島(大きさで呼称が変わるのかどうかは分からないが)と、「~Key」と呼ばれる小島がたくさん存在する。これらを調べるのにネットでの情報収集は早く的確に行うことができた。

植生についても同様で、ただでさえキング作品には植物・テレビ番組・音楽・日用品などなど実際にあるものを登場させることによりリアリティを出すのだが、今回特に南方に生育する植物の名称を調べるためにも効果的だった。名前は知らなくてもネットで画像を見れば見たことがある植物も沢山あった。


【スーパーナチュラル】

キング作品、特に初期の作品に多いのは超自然的現象を題材にしたもの。

いわゆる超能力。キャリー、ファイアスターター、シャイニング、デッドゾーンなどはその代表作であり、「もろ」そっち系の作品。

本作についてもパーシーという謎の存在が果たして現世の特殊能力を持つ人間に干渉するところは久々のテーマである。


【善と悪の闘い】

これもキング作品得意のテーマ。

ただしどの作品でも「善」の力は弱くはないが人間に対するあからさまな庇護はない。それに対して「悪」は非常に強大で(しかし善の力で滅ぼされることが多い)、かついつでもどこにでも存在している。

本書にそれを登場人物が語るセリフがある。下巻P408、6行目のエドガーによるもの。『となると、この方程式の光の側にもなんらかの存在がいて、わたしたちの安全に少しは目を配ってくれてるのかもしれないな』

ただ、本書を読んでふと思ったのは、はっきり性別を表現しているところ。つまり今までは男女の区別なく「悪のなにか」だったもの。それらはなんとなく男のような表現がされていたように記憶している。例えば・・・

   *レギュレーターズ/デスペレーションのタック

   *呪われた町のカート・バーロー

   *ITのペニーワイズ

   *ダークタワーシリーズのマーリン

   *ザ・スタンドのランドル・フラッグ

ところが本作ではパーシーは明らかに女性の性を持ち、エリザベス・イーストレイクもメリダもそう。物語の舞台が海であり、航海や港、船に関する名詞は多くが女性名詞であることを考えればそうなることは必然なのか。

いずれの性にしても悪が様々なテを使って人間を襲撃することに対抗する善の力がスーパーナチュラル的要素である「身体あるいは脳の欠損・損傷」により発現される。


【幽閉の難しさ】

エンディングの核となる、パーシーの封印について思うところがあります。

メリダ(とエリザベス)が大丈夫と思って封印したものの、数十年の時を経て顕現。

今回は大人である(思慮深い)エドガー、ワイヤマンが経済的なサポートを得て(エリザベスとエドガーの絵の才能による)、①適当な容器に封印し(3重) ②適当な場所に 眠らせた。

加えて過去の惨劇の舞台であるDuma Key をエドガーの能力により抹消する試みを実施した(作中ではその結果は明らかにされていないが)。

しかし、本当にそれで十分に封印されたのだろうか。

ITのペニーワイズしかり、タックしかり、ランドルフラッグしかり。

遠い過去から現在までしぶとく生き延びてきた「悪」がそう簡単に封印されるだろうか。

10年や50年ならおそらく問題ないだろう。

しかし、100年は?500年は?3,000年は?

そう考えると不安になる。

これはとりもなおさず核の廃棄物の封印方法にも似ている。

数千年後の人類が危険な何かを掘り当てないために(あるいは探し当てないために)本当に有効な手立てがあるのだろうか。

それは対象が人類の子孫とは限らない。

遠い未来に人類にとって代わった生物がいつしか知性を持ち彼らなりの文明活動を行う中で、廃棄物にブチ当たらないと誰が断言できるだろうか。


(写真はフィンランドの核最終処分場「オンカロ」)


本書を読み終わった後に爽快感は少ないが(登場人物の多くが作中あるいはその後人生を終えている)、それ以上にパーシーの封印に関する確実性などどこにもないことを考えて背筋が寒くなった。

あ、これこそホラーだな。

2輪、SK、ノイズ

2輪は自転車。SKはスティーブンキング。ノイズは音楽。 思ったことを素直に書いていきます。

1コメント

  • 1000 / 1000

  • Keiichi Sakai

    2019.02.11 08:42

    なんか最後は後ろ向きなハナシになっちゃったけど、ストーリーとしては大変楽しめました♪